めんへらいふはっく

メンヘラがせめて楽に生きるためのライフハック

春のサマータイムレコード

2014年3月だった。

私は第1志望の私立中高一貫女子校に受かるも、小学校不登校だったのもありほぼ友達は出来ずおはようと言い合える人も、ばいばいと言い合える人もいないような状況だった。

孤独で寂しく歪に変形した隙間だらけの私の心にTwitterは上手く入り込んで、Twitterを初めて半年ほど経つ2014年3月にはどっぷりハマっていた。

そこにはおはようおやすみいってらっしゃいお疲れ様と言ってくれる人がいて、辛いことがあれば慰めてくれる。13年間生きてきてはじめて、人間関係というものを少し作れた気がした。

そんな時だった、フォロワーのある人(今はもう全く繋がりありません)がツイキャスをやっていて、どんなものかはわからなかったがとりあえず見てみてコメントをした。話は盛り上がりとても楽しく、さらに濃い人間関係を築けている気がして私はツイキャスにどハマりした。

私が初めて見たキャス主の人を中心とした6人ほどのグループの様なものが出来上がり毎日のように誰かがCASを開けばそのCASに行き、春休みは朝まで通話したりもした。当時出来たばかりだったツイキャスのコラボ機能もすごく良く使っていた気がする。

そのグループの中には上は25歳、私は当時中学2年生で最年少、他には私と同い年の女の子や、JK、そして、1つ上の大阪の男の子がいた。1つ年上の男の子をRとしよう。

その時私はとにかく彼氏が欲しくて、恋愛というものに興味津々でツイキャスTwitterを通じたインターネットで適当に言い寄られることが正直楽しかった。別に好きではない人の行為もとても心地よいものだった。今風に言えば自己肯定感が満たされていたんだと思う。でも別に好きでは無いので適当な気持ちでいた。

そんな風な日々を2ヶ月ほど続けていた、2014年5月。私はRをなんとなく良いなと思うようになっていた。明確な恋ではない、恋の進化前の様な感情をRに持っていた。

そんな最中、5月12日の事だった。RがCASをして、いつもの様に私はRのCASに行った。Rはピアノが上手くて、CASをする時はピアノを弾きながら雑談をするCASをしていた。その日、私が少し前にRにサマータイムレコード弾いてよ、と言った(当時の私はボカロ厨だった)のでRが弾けるようになったよ、ふぇにたんが聞きたがってたやつだよとサマータイムレコードを弾いてくれた。そんな時、いつもの仲良しグループの女の子の1人が、「R!ふぇにたんのこと好きって言ってよー」とふざけて言ったので、Rが照れくさそうに「ふぇにたん好きやで」と言った。ふざけているだけだけどすこし嬉しく、何かが始まるような予感がした。

そのCASが終わった後、私はよくRとLINEをする関係だったのでサマータイムレコードありがとう、好きって言われて冗談でも恥ずかしかったみたいな事を言った気がする。そうしたらRがまあ冗談じゃないんやけどみたいなことを言ってきた。

 

はえー?と平静を装いつつも期待やドキドキがとまらない時、RはLINEで「本当に好きじゃなかったらあんなこと言わないよ」と告白をしてきた。

 

13年間生きてきて、初めて人から真面目な恋心を向けられた瞬間だった。

 

私は、本当に本当に嬉しかった、そして同時に自分もRが好きだということを感じ、私も好きだよと返した。

私の初めての人と真剣付き合い、向き合う日々が始まった。

毎日LINEで学校の辛いことなど他愛も無いことを話したり、仲良しグループの誰かのCASで惚気けてみたり、楽しかった。

Rはいわゆるメンヘラで薬を大量に溜め込んでいてそれをCASで見せたり話の端々でリストカットをしていることを伝えてきたりしていて、当時死にたさや辛さを感じながらもまだメンヘラでなかった私は「こんな世界もあるんだな」と、まさか自分がその世界の人間になるなんて夢にも思わず、どちらかと言えばRを心配したり救いになりたいと思っていた。その一方で、自分自身の小学校不登校という過去や、学校が辛く死にたいと思っている脳内を、自分自身の全てをRなら受け入れてくれるかもしれない、受け入れて欲しいと思う気持ちもあった。

ある日はCASで私は将来麻酔科医になりたく、Rはカウンセラーになりたいという、今思えばミイラ取りがミイラになるような話をしたり、ある日はいつか会いたいね、会ったらどんなデートをしようかと話したり、ある日は会ったらすぐに抱きつくねとかキスしようねとか思い出すと恥ずかしくなるような話をしたりした。死にたいという思いを軽く伝えたこともあった気がするが、死にたくなくなるような死にたさの解答のようなものは見つからなかった。それでも、本当に優しく21年間の人生で出会った人の中で1番というほど優しいRに心を触れられるような日々は今でも私を支えてくれる思い出だ。

そんな、甘酸っぱいけど少しダークで陰のある日常のある日、いつもの様に深夜までLINEをし、なんか結構シリアスな話をしていた気がする。今ならきっともっと良い対応が出来るのだろうけどまだ人との付き合い方がわからなかった私はなぜか、今なら私の不登校という過去を受け入れてもらえるかもしれないと思った。私は今では小学校不登校という過去をどうも思ってないしむしろネタにしている位だが当時の私はひた隠しにし、バレてしまったら嫌われるんじゃないかとも思っていたし、逆にそれを知っても私を変わらず好きでいてくれるという体験をしたかった。私はRに秘密がある、嫌わないで聞いてくれるかと聞いた、Rは「何があっても、どんな過去があってもふぇにたんを嫌うことは無い」と言ってくれて私は小学校不登校だったということを話した。Rの返答は意外なものだった。「そうなんか。それならこの機会に俺も話しとくけど俺も今不登校や。だからそんな過去でふぇにたんに対する気持ちが変わることは無い」そういう旨の返答がきた。私が初めて他者に小学校不登校という事を話した体験は私が予想もしない方へ進んで行った。

この時の私の気持ちは複雑だった。不登校の過去を初めて他者に、それも世界で1番愛する恋人には受け入れてもらえて嬉しく幸せな気持ち、そしてRの闇がはっきりと見えた気もして心から救いたいと思った。

私はRがなぜ不登校なのか聞きたかったが、自分が不登校だった時になんで学校に行ってないのか聞かれるのがすごく怖くて嫌だったので聞けなかった。

その後も変わらずCASをしたり通話をしたりする日々が続き、6月12日、1ヶ月記念日をむかえた。

私は初めて人とちゃんと付き合ったので1ヶ月記念日を祝うなんて思わず普通に過ごしていたらRから今日で1ヶ月だな、大好きだよみたいなことを言われて、なんて恋人らしいことをしているんだろうととても嬉しく定番のこれから先もずっと祝っていこうねという約束した。

その数日後だった。今でも忘れられない事件が起きたのは。

その日、Rは病んでいた。私はどう対応していいか分からずに困りあまり内容のあることを言えずにいた。そのうちにRから返信が来なくなり、さらに困っていたらRが高いところから下を見下ろした写真を投稿した。

暗くてなんの写真かすぐには分からず、私はRの意図が分からずにさらに困惑した。今でもこの時の自分はなんて馬鹿でダメだったんだろうと思う。

その1時間後くらいにRから大好きやで、さよならというようなLINEと着信が来ていた。着信にはちょうどお風呂に入っていて出れなかった。お風呂上がり全てを察した、Rは飛び降り自殺をしようとしていてあの画像を投稿した、このLINEは最後のメッセージで着信は最後のSOSだったのだ。(私はこの事があってからしばらく、スマホを長時間見ないと不安や恐怖に襲われるようになった)

私はとにかく何度も電話をかけた、LINEもした、お願いだから死なないで欲しいとにかく言い続けた、全く返信は来なかった。大阪の自殺防止センターにも電話して彼氏が自殺しようとしているから今すぐ保護してくれとも頼んだ。(自殺防止センターの人は自殺したい人は保護してもまた自殺するから無駄、あなたはせめて死ぬなと役に立たない返事しかしなかった)私はもう飛び降りてしまったのだと思いパニックになり、自分を責め、自分が殺したのだとさえ思った。一生人殺しとして生きていくんだとも思ったし初めて心から愛し、心を通わせた人を失ってしまったとも思い悲しいじゃ足りないくらいに悲しかった。

ほとんど寝れなかった気がする、それでも朝は来て学校に行かなければならない。今だったら学校なんて休んで新幹線飛ばして大阪に行くところだが当時の私は親や学校が怖くそんなこと出来なかったのでお願いだから未遂に終わっていて欲しい、ずっと一緒と約束したんだからきっと生きてるはずだと必死に思い学校に行き、確か下校中だった。

Rから電話が来た。

すぐに出た、Rは「心配かけてごめんな、飛び降りたんだけどすぐに通りかかったタクシーの運転手の人が救急車を呼んでくれてかすり傷位で済んだ、今はICUに入院してるがすぐ退院すると思う」と言ってくれた。大泣きした。私は何度もRに生きててよかったと伝え、もうお願いだから死なないでと伝えた。

私は未だにその時の気持ちを表現出来る言葉を知らない。

そしてまた、いつもの日常に戻った。

自殺未遂事件があった週の週末、元々東京に住んでいる私と20代の男と女の3人で私の中間テストお疲れ様オフ会をする計画で私は初めてのオフ会だったのでとても楽しみにしていて、芋中学生なりに髪を切ったりしていたらRが俺も東京行ってオフ会行くからと言って東京に来た。そして今でも忘れられない夢の2日間が始まる。

計画としてはRとまず2人で会う→他の2人と合流してカラオケ、食事という計画で、Rは私の家の最寄り駅に迎えに来てくれると言うので私は買いたてのLIZLISAのワンピースを着てドキドキとワクワクが止まらない中最寄り駅に向かった。

どんな服を着てる?みたいなよくあるエンカ前のやり取りをしてすぐにRだとわかった。

事前に背が高いことは知っていたが実際見ると背が高くて顔は鈴木亮平に似ている私の1つ上とは思えない大人っぽい見た目の男の子だった。

私達は会ったら直ぐにハグをすると約束をしていたので、私はR!と駆け寄り抱きついた。その後、2人でカラオケに行った。こっち向いてと言われたので向くと顔を近づけて来て思わず避けてしまいRがショックだなあとか笑いながら言っていた。その後、私は初めてキスをした。人の唇は柔らかくて、愛されてると感じた。その後イチャイチャしつつ普通に私はブラックロックシューター(曲選が謎すぎる)とかを歌った気がする。

その内にほかのオフ会メンバーの1人が来て、二足歩行を歌い二足歩行の「その口をこの口で塞いで」という歌詞のところで不意にキスをされたのを覚えている。

その後はオシャレな渋谷のレストランに行きもう1人のオフ会のメンバーも合流して私はテストお疲れ様とパパブブレのキャンディーをもらったり写真を撮ったりした。Rは翌日まで東京にいると言うので他のオフ会にいた人にもそそのかされ次の日もデートすることになりその日は解散した。

次の日、私は本格的な2人きりのデートに心を躍らせ、自分なりに昨日がLIZLISAのワンピースだったから今日はカジュアルにトゥララのパーカーで行こうとか考えて、私が提案した東京スカイツリーに行った。

2人で手を繋ぎ、ショッピングをして大きな大きなリラックスのぬいぐるみやリラックマの保冷剤、夏目友人帳の扇子などを買ってもらった。リラックマのぬいぐるみは今でも家にある。

その後次はどこに行こうかと二人ではなしていたらRが「越谷レイクタウンに行こう、あの辺はすごくいい所だったから」と言うのでなんでわざわざあんな遠いところにと思いつつも物凄く越谷レイクタウンに行きたがるので行った。

越谷レイクタウンでペアネックレスにペアリングを買って私は初めてのペアルックにうきうきで幸せで仕方なかった。

外のベンチに座りただただ何時間も話しこんだ。正直昔過ぎたのと緊張していたので何を話したのか詳細に覚えてないが確か「ふぇにたんはキスする時目を開けているから恥ずかしい」と言われた気がする。まだキスになれてなかった事がわかる会話だ。

まだ自撮りアプリなんてそんな無かったのでiPhoneの純正カメラでツーショットを撮ったもした。

その後、2人きりになりたいと言うので秋葉原に行ってカラオケに行った。ここでの話はえっちなので省きます。

そして、新幹線の時間が近づく。私はこの日、親に銀座で食事をしようと言われていたので東京駅までRを送り、ほんとにほんとに新幹線の時間ギリギリまで話し込み、私が泣きかけるとRは「絶対にまた会おうな」とキスをして頭をぽんぽんして人混みに消えていった。

私は大きな大きなリラックマのぬいぐるみにペアリングにペアネックレスをして親との食事に向かい、親は当時のことを「すぐに彼氏出来たんだなって分かったわ」と言っている。

私はしばらくこの2日間のときめくような時間の中で生きていた。

しかし、その1〜2週間後位にRは他に好きな人が出来て私を振った。

悲しかった、辛かった、また一人ぼっちに戻るのかと思った。裏切られたとも思ったし自分がRを分かることが出来なかったから振られたのだと思った。私のメンヘラの始まりだ。

私は寂しさを埋めるように次の彼氏をすぐに作り好きだと思おうとしたが、その彼氏がモラハラ系だったので日々は辛いものだった。私は心のどこかで私もRと同じ痛みを味わわなくてはいけないと思い自傷を始めた。飛び降りようともした。

その後もRと連絡だけは取り続け、Rの不登校の原因は元カノが不登校で病んでいてその元カノの話をずっと聞いてあげたいという思いから学校に行かなくなったということ、越谷レイクタウンに行ったのはその元カノとデートした場所だったからという事を知る。

もう、あの頃から8年経つ。今ではRと一切連絡を取っていないしどうしているかもしらない、当時の仲良しグループの誰とも今じゃもう関わっていない、医者にはなれなかったし学校はやめるしRとの絶対また会おうという約束は果たせなかった。

それでも、5月12日、あの日のサマータイムレコードは、初めて心に触れられた日々は、私を支える一部として残っている。